今回も天文と関係ない鉄道の話。
前回、神戸市営地下鉄海岸線が20周年との話を書いたが、その同じ2001年の12月、九州の鹿児島に知人を訪ねて行ったついでに、JR肥薩線に乗りに行ったことも思い出した。これも「少し前のこと」と思っていたら、もう20年も経っていることにびっくりした。
JR肥薩線は熊本県八代市の八代駅から、人吉市(人吉駅)を経て鹿児島県霧島市の隼人駅までの路線である。球磨川沿いの景観や峠越え区間のループ線、スイッチバック、日本三大車窓など見どころが多く、近くに行った際に訪れるチャンスを待っていたのが実現した。ただし「ついで」なので時間的な制約があり、人吉近辺の観光や、くま川鉄道、沿線の見どころなどはほとんどスルーせざるを得なかった。
いずれまたちゃんと時間を取って再訪し、沿線もくま川鉄道も観光したい・・・、と悠長に構えていたら、ちょうど1年前に発生した令和2年7月豪雨により肥薩線とくま川鉄道が被災し、現在もくま川鉄道全線と、肥薩線八代~吉松間で運行休止している。くま川鉄道は今年(2021年)11月ごろに一部復旧の見込みだが、肥薩線八代~吉松間については具体的な見込みはなさそうで、BRT(バス)化も検討されているそうだ。
さて、2001年の訪問当時の画像を探し出してみたが、持っていたデジカメの性能が悪いせいか、あまりまともな画像がなかった。それでも20年前を思い出すことができて、懐かしい気持ちになった。
記憶があやふやだが、まず新幹線で博多までいき、そこから「特急つばめ(787系)」で鹿児島の知人に会いにいった。一泊して所用後に車に乗せてもらい人吉まで行き、昼間に少し市内観光。それからまた八代まで車で送ってもらい、そこで知人と別れて、自分一人で気動車の急行「くまがわ」で球磨川沿いに再び人吉に向かったように思う。
球磨川沿いの景色は見事だったと思う。ただ当時所有していた低性能のコンパクトデジカメでは、夕方の暗い環境下で走行時に撮影するとブレまくった。
「くまがわ」はよく覚えていないが、おそらくキハ58系。青一色の塗装が目新しかった。
人吉到着が夕方になったので、駅前のビジネスホテルで一泊し、夜は温泉に入りに行ったと思う。
そして、翌日の早朝、人吉から隼人までの峠越え区間に向かうことにした。
人吉駅では、くま川鉄道を「チラ見」しただけ。
同じ駅構内だが、JRは「人吉駅」で、くま川鉄道は「人吉温泉駅」とのこと。
これから乗るのは、キハ140 2125 気動車「いさぶろう・しんぺい号」。
当時はまだ内装も普通で、単なる普通列車だった。現在は改装を受けて観光特急化しているが、昨年の豪雨被災により運休中。
人吉を出発して最初の駅は、ループ線とスイッチバックの複合で有名な大畑(おこば)駅。だが走行中にまともな画像が撮れなかったので、駅での停車時の画像のみ。
画像に写っている黄色い服の人は全くの他人。だが、停車するたびにホームに降りて写真撮影していたので、肥薩線自体を目的に来た人だと思う。
次は矢岳(やたけ)駅。
奥の方に「人吉市SL展示館」が見えるが、立ち寄る暇はなかった。ここにはD51 170号機が静態保存されているらしい。
矢岳駅を過ぎると、「日本三大車窓」と言われている「矢岳越え」に差し掛かる。
普通列車ながら少しスピードを落として、車内放送で車窓の案内をしてくれたように思う。
大変素晴らしい車窓だったと記憶しているが、当時持っていたデジカメではまともに撮影できなかった。
矢岳の次は真幸(まさき)駅。ここもスイッチバック駅になっている。
その後、吉松を経由して隼人に到着。そこから日豊本線で西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)に移動して鹿児島市内を少し観光した。
兵庫県までの帰路については、西鹿児島駅から日豊本線経由にすることに決めた。
西鹿児島から宮崎までは特急「きりしま」。
車両は485系の独自塗装。デザインの良い特急列車が多く走るJR九州内においては、ちょっと見劣りする感じ。
宮崎から小倉までは特急「にちりん」。関西では乗ることの出来ない783系ということで、奮発してグリーン車に乗車した。
小倉からは新幹線レールスターで帰宅。
大移動した一日であった。
余談だが、この訪問後しばらくして、鉄道模型の通販サイトでKATO製キハ58系のJR九州新急行色モデルを中古で発見、記念に購入していた。ただ当時から鉄道模型はほとんど走らせること無く物置の奥に埋まっていた。
それを先日約20年ぶりに掘り出してきて走行させてみたが、室内灯がチラつく以外は正常に動作した。
物置からはこの他にも色々と線路や車両が発掘された。ただ現在、天文関連機材だけでも結構大変なので、ここで鉄道模型に色々手を加えたりレイアウトを作ったりし始めると収拾つかなくなるので、とりあえず再封印した。
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