シーイングが良好だった2023/12/9の木星
昨日は季節外れの温かさで風も弱く、シーイングが良さそうな雰囲気だったので、とりあえず夕方からミューロン180Cを出して待機した。日没から21時頃までは薄雲に覆われて全くダメだったが、22時ごろから徐々に雲が無くなって撮影可能となった。この時点で大赤斑が正面に回ってきて良いタイミングとなった。
やはり12月としては良好なシーイング。とはいえ、真夏のようにぴったり止まった感じは無くてそれなりの揺れは感じられる。上の画像には5/10と記載したが、6/10ぐらいだったかもしれない。
眼視でも良く見えそうだったので、アイピースをPENTAX XW7mmに取り替えてみた。
普段の惑星撮影時には、対象惑星の視野導入のし易さから、セレストロンのズームアイピース(8-24mm)を常用している。これも眼視では特に問題なく見えるのだが、良いシーイングの際にじっくり観察したい場合、このXW7mmに交換している。かなり前に眼視用として奮発して購入したもので、ミューロン180Cと組み合わせて約300倍になる。視野角が70°と広々としていて、アイレリーフも20mmあって見やすい。ただし大きくて重い。
眼視にこだわるのであれば、ビクセンのフリップミラーではなく、高精度ミラーを使うべきであるが、それをすると撮影との切り替えが厄介なので、そこは妥協している。笠井トレーディングで買った31.7mm高精度ミラーも、最近は全く使っていない。
これで見ると大赤斑を取り囲む白い帯や、北赤道縞(NEB)の入り組んだ様子が良く分かり、しばらくの間見入ってしまった。しかし、眼視では動画スタックによる画像ほど細かく見えるわけではない。昔は動画スタック等という手法は無く、観測は専ら眼視によるスケッチだった。それに昔は大口径反射望遠鏡も今ほど安価ではなく、20cmを超える機材を使えるのはよほどのハイアマチュアだけだったのでは。
それを思うと、スケッチ観測で白斑やフェストーンなどの変化を記録していた人たちは本当に凄い。回数を重ねて慣れてくると「見えてくる」のだろうか。
昔の木星会議の記憶
昨夜の木星面を眼視で見ながらそういうことを考えていると、昔に一回だけ参加した「木星会議(木星観測者会議)」の記憶がふと蘇ってきた。木星会議は上記のようなすごいスケッチを描く人たちの集まりである(今は動画主体だろうけど)。
参加したのはおそらく1986年頃に地元・神戸で開催された回で、私は当時大学1回生(関西では大学1年生のことを1回生という)。所属していた大学の天文研究会が世話役(?)に当たったようで、1回生の下っ端の私は、その下働き(荷物運びとか、買い出し、会場設営などのアレコレ雑用)として参加した。会場はよく覚えてないけど阪六の近くだったような・・・。
それまで高校の天文部での活動しか経験していなかったので、このような大人の専門家が集まって学術的なディスカッションをする場というのは新鮮だった。会議中は後ろの方で見学させてもらえたが、何を言ってるのかさっぱり分からなかったのを覚えている。私自身は惑星観測の斑に入っていなかったので、とにかく専門用語が分からない。
「エストラゼットの様子がナントカカントカ・・・」。
エストラゼットって何? 虎? Z?
それは「STrZ(南熱帯)」だった。エスティーアールゼットじゃないのか・・・。
このとき、当天文研究会の惑星斑はごく少人数の熱心な先輩方が活動しているだけだったので、観測記録が少なすぎた。ディスカッション内で当天文研究会の観測記録について話を振られるたび、「当方の記録は無いようです・・・」と答えるしかなく、先輩方が会場担当団体として肩身を狭そうにしていたのを覚えている。
だからといって、その後、当天文研究会で惑星観測が拡大することは無かった。やはりスケッチ観測の難しさと地味さ、その継続の必要性が、飽きっぽい学生たちには向いていなかったのだと思う。あと、当天文研究会にはドームやスライディングルーフが無く、惑星観測用の重いタカハシ16cm反射赤道儀を毎回バルコニーに出す必要があるのも大変だった。
そんな記憶からウン十年、私自身の惑星知識に関してはあまり進歩も無いが、ただ機材とコンピュータの進歩によって、動画スタックで帯や縞を明確に捉えることが出来ている。それでも継続して熱心に記録を取るということは無く、相変わらず年に数回だけ気が向いたときに撮影して観望するというユルさは、当時からあまり変わっていない。
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